私の愛したサッカー選手【その6】アルバロ・レコバ(ウルグアイ)

こんにちは。サッカー大好きアラフォーおじさんです。

ハイ、白状します。天才、ファンタジスタ、大好きです。連載6回で天才系の選手4人目でございます。

f:id:takeuchiriki:20200618152534j:plain

主にインテルで活躍したレコバ

という訳で今回はウルグアイの天才レフティアルバロ・レコバ選手です。彼の特徴は、強烈かつ正確なFK、長距離でもお構いなしのシュート力、そして細かいスペースをバッチリ通すパス、そしてドリブル、もう全て揃ったスーパースターです。

さて、そんな天才をわざわざ取り上げる理由はズバリ、インテルでのデビュー戦を紹介したいからです!

レコバが入団した1997年、インテルファンの関心は同年にバルセロナから移籍してきた怪物ロナウド一色でした。8月31日の開幕戦も世界中のサッカーファンがロナウドの活躍を楽しみに観戦していました。

ところが試合は期待のロナウドも不発の中で格下のブレーシャが1点リードのまま残り20分。そこに背番号20の無名な若手選手が投入されます。レコバです。そして迎えた79分、ゴールまでまだ30メートルはある距離でボールを持ったレコバは、目の前が空いているのを確認すると、左足を一閃!コース、スピードともに完璧なシュートが文字通りゴールに突き刺さりました!誰もが驚愕したゴール。しかしまだ終わっていませんでした。残り時間が僅かとなった87分、ゴールから30メートル離れた場所でFKが与えられます。ボールにはレコバ。無名の新人が堂々と構えているのは、その前のシュートがあったから。たった一撃でチームメイトをもねじ伏せていたのです。そして鋭く放たれたフリーキックは美しい放物線を描いて、再びゴールに突き刺さったのです。2-1で逆転勝利。怪物ロナウドのデビュー戦は、無名の新人選手の鮮烈なお披露目戦となったのです。


Recoba debut for Inter (31 - 8 - 1997)

ただ、どうもかなりの練習嫌いだったらしく、思ったほどブレイクしませんでした。。でも私はあの日の興奮を一生忘れないでしょう。いつか会える日を。

私の愛したサッカー選手【その5】ブランコ(ブラジル)

こんにちは。サッカー大好き、アラフォーおじさんです。

ブラジル代表の左サイドバックで強烈なFKを蹴る、といえば皆さん思い浮かべるのはロベルト・カルロス選手ですよね。でもその元祖はブランコ選手なんです!

f:id:takeuchiriki:20200617175814j:plain

94年ワールドカップ勝戦 右上の6番がブランコ選手

ブラジル代表で86年、90年、94年のワールドカップに出場したレジェンド。私が見たのは94年アメリカワールドカップ準々決勝のオランダ戦。というか、実はこの試合と決勝のイタリア戦の2試合しか見たことがない・・・。でもなぜ私の愛したサッカー選手かというと、オランダ戦のFKが凄すぎたから!そもそも93年開幕のJリーグしかほとんど見たことのない私はFKといえばジーコ(鹿島)やエドゥ(横浜F)のイメージで壁の上を越えて曲がって落ちる、というのが常識でした。

しかしこのブランコ選手、まず助走が長い。いやいやどこまで下がるねん!と思わずツッコミ!しかし次の瞬間、アウトサイドキックで低くて早くて正確なFKを叩き込んだのです!えーーーー!こんなFKあるんだ!なんやねんこのおっさん!とにかく衝撃でした。


ワールドカップ94 ブラジル代表 3/4(該当4:20~)

ちなみにこの大会はブランコ選手は若きレオナルドにレギュラーを奪われて控えでした。(レオナルドが左サイドバックとは贅沢な・・・)しかしレオナルドが故意ではない肘打ちでレッドカードを受けて出場停止となったため準々決勝のオランダ戦から出場することになりました(レオナルドといいゾラといい不運なレッドカードが多い大会ですね)。かっこいいレオナルド→くたびれたおっさん。正直がっかりしていたのですが、このFK一発ですっかり虜になりました。この試合は3-2でブラジルの勝利!ブランコ選手のFKが決勝点です!

余談ですがそれからの私は高校のサッカー部で、愛するゾラの狙いすましたFKと愛するブランコの鋭いFKの二刀流を身につけるべく毎日違う蹴り方のFKをひたすら練習し、足首を痛めたのは言うまでもありません(補欠だったけど)。

 サッカーの魅力はいろんなゴールのしかたにあると思っています。そのひとつを見せてくれたブランコ選手に拍手~!

私の愛したサッカー選手【その4】ジャンフランコ・ゾラ(イタリア)

 こんにちは。サッカー大好きアラフォーおじさんです。

 高校生の頃、海外サッカーの情報といえば週一回深夜に放送していた「セリエAダイジェスト」でした。ジョン・カビラの軽快なMCで当時世界最高峰といわれたセリエAのプレーをダイジェストで見られるという素敵な番組でした。

f:id:takeuchiriki:20200617140409j:plain

チェルシーでレジェンドとなったゾラ

 そこで見た忘れられないプレー。ペナルティエリアの左外、真横の位置からのフリーキック。誰かに合わせるかと思いきや、ぐにゃ~~~と曲がってファーサイドに直接ゴール!こんな位置から!?こんなに曲がるの!?高1のボクちゃんは画面に釘付けでした。それを蹴った選手がそう、当時パルマの10番として活躍していたジャンフランコ・ゾラ選手でした。

 私と同じぐらいの身長の小さなおじさんが、ドリブル、パス、アシスト、ゴールと躍動する姿に驚きと感動の連続。当時サッカー部で補欠だった私は小さくてもゾラのように活躍するんだ、と練習に励んでいました。高校生だった私のまさに憧れの人物でした。


SERIE A BEST OF 90'S プレイヤー Vol.50 『ジャンフランコ・ゾラ』

 さてそんなゾラ選手について。セリエAナポリでキャリアをスタート。チームにはあのマラドーナがいて、ドリブルやFKはマラドーナに教えてもらったといいます。そしてマラドーナナポリを去る際には「オレの代わりをおいていく」とゾラを後継者に指名しています。

さてそんなゾラ選手ですが、私の中ではとっても運の悪い選手というイメージです。世界レベルのファンタジスタでありながら、何と同じ時代のイタリア代表にはロベルト・バッジョが君臨していました。94年アメリカワールドカップでは怪我明けのバッジョよりもコンディションの良いゾラを起用すべきという声が大きい中、サッキ監督はロベルト・バッジョにイタリアの命運をかける采配をしました(結果はロベルト・バッジョの神がかり的な活躍で準優勝だったのでサッキの采配は当たったというべきでしょう)。そんな中決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦、途中出場で遂に出番が訪れます。しかしそこで有名な「ゾラの悲劇」が襲います。敵ペナルティエリア内でファール気味にボールを奪われたゾラ(絶対ファールです!)、審判にファールをとってもらえずも、気持ちを切り替えて見事ボールを取り返します。そこでピピーっという主審の笛。はてさて?というゾラの前に突きつけられたレッドカード!!!!ゾラは相手に触らず見事に取り返したのに!!(すごいスピードで取り返しにいったので主審には報復行為、または悪質なタックルに見えたらしい・・・)ゾラの温厚な人柄は誰もが知るところ、そんな彼が報復なんてするはずないだろう!!!94年大会最大の誤審によりゾラはたったの12分でピッチを去ることになりました。そしてこれが彼の最初で最後のW杯となったのです(T_T)


ゾラの悲劇 W杯94

 次の国際大会ユーロ96ではイタリアのエースとして出場!しかしここでも悲運が。。

ドイツ・チェコ・ロシアと同組になったグループC。初戦のロシア戦は2-1の勝利。ゾラもアシストを決めてしっかり活躍。しかしなんと次のチェコ戦でなぜか主力の温存策をとって1-2で敗戦!初戦2ゴールのカシラギと共にゾラもベンチスタートという不可解采配。最終戦のドイツ戦、勝てば決勝トーナメント進出、引き分け以下で敗退という試合でイタリアにPKのチャンス!キッカーはもちろんゾラ。よっしゃ決まった!と誰もが思ったそのPKはなんとGKにキャッチされてしまいます。結局0-0で試合が終わりイタリアは予選リーグで敗退することになったのです(ちなみにこの大会の決勝はグループCを勝ち上がったドイツvsチェコでした)。

 しかししかししかし!同年にパルマからチェルシーに移籍して真のゾラ伝説が始まるのです(このとき30歳!)。

 当時はキックアンドラッシュスタイルでフィジカル重視だったイングランド・プレミアリーグに現れた小さなおじさん。テクニックがあっても巨漢の漢たちにつぶされて終わりと思われていた中で、それはもう圧倒的なテクニックでバッタバッタとねじ伏せて行くのです。イングランドのファンは驚き、そしてテクニカルなサッカーを目の当たりにして大いに喜びます。ここから今日に至るイングランド・プレミアリーグの発展が始まるのです。ゾラはTHE MASIC BOXと呼ばれチェルシーのレジェンドとなります。ゾラの25番はチェルシー永久欠番です。


TOP 10: Gianfranco Zola Goals! | Chelsea Tops


Gianfranco Zola: The Magic Box vs Liverpool. مهارة الإيطالي زولا في مواجهة ليفربول. تلاعب لا يفوتك

 代表のキャリアは不遇でしたが、チェルシーで幸せを掴んだゾラ。キャリアの最後は故郷のカリアリへ移籍するという人情厚い漢。現在は監督やコーチとして活躍中。

いつか名古屋グランパスの監督になってくれたら嬉しいな。

私の愛したサッカー選手【その3】望月重良

 こんにちは。サッカー大好きアラフォーおじさんです。

私の愛したサッカー選手とプレーを紹介するシリーズ、第3回目は元日本代表、望月重良選手です。

f:id:takeuchiriki:20200616161812p:plain

名古屋グランパス時代の望月選手

 ちょっとマニアックかな?2000年アジアカップの決勝戦で決勝ゴールをあげた望月選手ですよ。いやいや、かっこいいボレーシュートを決めたのは2011年大会の李忠成選手!望月選手のはセットプレーに走り込んで、こう、なんというかドタバタドタ~って感じで決めたあのゴールですよ。


望月重良 アジアカップ2000 決勝ゴール

 と、バカにしているわけではありません!私は望月選手の大大大大ファンです!

大学ユニバーシアード代表の10番として優勝して鳴り物入り名古屋グランパスに入団して活躍。コンビを組んだストイコビッチから「俺の次(の10番)はお前だ」と後継者に指名される程の実力者なんです!そもそもアジアカップの決勝にスタメン出場している時点で只者ではないでしょ。

 さてそんな望月選手は基本的には天才MFですが、名古屋グランパスではFW、日本代表では右ウィングバックとしても活躍。本人は攻撃的MFが好きだとインタビューでは語っていましたが、天才ゆえにどのポジションでも活躍できてしまうのでした。(ただ日本代表での右ウィングバック起用はもったいなかったな~、中央のほうが生きたのに・・と思うのは私だけでは無いはず)

 私が望月選手を好きになったのは大学生の時に弟と二人で愛媛から大阪まで名古屋グランパスvsセレッソ大阪の試合を見に行った時でした。ピクシー目当てに観戦した試合で、めちゃくちゃ上手い!と驚嘆しました。流れるようなトラップ、パス、そして驚異のキープ力(誰もボールに触れない!)。ストイコビッチと望月選手だけが別次元のプレーをしていました。(それでも試合は0-2で負けてしまうのがグランパス)。

 清商トリオと言われた望月重良大岩剛平野孝の3人はその後大活躍!そして問題を起こして3人揃って退団という名古屋グランパスファンは最も衝撃を受けた事件を経て、京都パープルサンガへ移籍。ここではキングカズと共闘し、カズからも天才と言われて絶大の信頼を得ていました。

 しかし2004年に突発性大腿骨頭壊死という難病におかされ、リハビリ生活を余儀なくされます。懸命のリハビリの結果、奇跡的に復帰を果たし、2006年までプレーして引退しています。引退後は自ら出資してSC相模原を設立し、クラブの代表としてJ1昇格を目指して戦っています。ちなみにSC相模原の背番号11番はカズのために空けてあるそうです。

 私は日本一の天才MFは望月選手だと思っています。こんどはクラブの代表として日本中を沸かせてくれる日を心待ちにしています。


【望月重良×堀江貴文】居酒屋ホリエモンチャンネル〜サッカービジネス編vol.2〜

(すっかりビジネスマンとして洗練された望月重良氏)

私の愛したサッカー選手【その2】フィリップ・コク

 こんにちは。サッカー大好きアラフォーおじさんです。

 私の個人的に好きな選手と思い出のプレーをご紹介します。

 

f:id:takeuchiriki:20200617173557j:plain

FCバルセロナの最多外国人選手出場記録を持つ

 第2回目は、オランダの誇る世界一のユーティリティプレーヤー、フィリップ・コクー選手です。

 ユーティリティプレーヤー、それは複数のポジションでプレー出来る器用な選手の事で、日本代表だと右サイドバックセンターバックでプレー出来る冨安選手や、ボランチリベロで活躍する長谷部選手がいますが、フィリップ・コクーは次元が違います!DFからFWまで全てのポジションでオランダ代表のレギュラーとしてプレーできるのです!

 ちなみにこのコクー選手ですが、FCバルセロナの最多外国人出場記録保持者です(公式戦出場292試合!)。つまりバルセロナで何年もレギュラーで試合に出続けられる程の実力者なんです。すごいよね!

 さて、そんなコクー選手と私の出会いは98年フランスワールドカップオランダvs韓国戦。オランダが韓国を5-0で叩きのめしたこの試合の先制点を挙げたのがコクーです。とにかく鋭く、速いシュートを突き刺します。あまりの鋭さに衝撃を受けたのが最初の出会いでした。ちなみにこの大会での背番号は11。韓国戦はベルカンプとのツートップとして先発しています。この大会のオランダ代表は4位となりましたがコクーは全試合に先発。ボランチ、FW、左MF、左SBとして出場。FWからDFまで4つのポジションで出場しています。これ、社会人サッカーとかじゃなくてワールドカップですよ、しかもオランダ代表ですよ!実力の次元が違う。

 

 さて次の国際大会はEURO2000。もちろんコクーも出場してます。このときの背番号は7。

 2002年日韓ワールドカップの出場を逃したオランダにとっての次の国際舞台はEURO2004。我らがコクーはキャプテンとして全試合先発フル出場します。ちなみに、決勝トーナメントのスウェーデン戦はPK戦となり、オランダは勝ちましたがコクーは失敗しています。実は98年W杯で敗退したブラジル戦でもPK失敗しており、どうやら向いてないようです。

 代表引退となった最後の大舞台2006年ドイツワールドカップ。背番号8を背負い、もちろん全試合先発出場。チームは決勝トーナメント1回戦でポルトガルに破れました。

 私が知る前のEURO96にも背番号20で出場していますので、10年間もオランダ代表に選ばれ続けていたんですね。


Phillip Cocu - all 10 goals for Netherlands

 現在は監督として活躍されています。第二のコクーを育ててくれることを楽しみにしましょう。

私の愛したサッカー選手【その1】ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア)

こんにちは。サッカー大好き、アラフォーおじさんです。

f:id:takeuchiriki:20200617173604j:plain

中学3年の時にJリーグが開幕し、地元愛媛県でキャンプをしてくれた名古屋グランパスをひたすら応援。高1の時にたまたまBSでやっていたイングランド・プレミアリーグの試合でめちゃくちゃ足が早くてドリブルの上手いウィングプレーヤーを見て海外サッカーに目覚める。それから深夜のセリエAダイジェストに毎週かじりつき、ユーロ96を見るために父親に頼み込んでWOWOWに加入して、社会人になったらスカパーをすぐに契約して毎日ずーっとサッカーをテレビに流してた。あの頃のめり込んだサッカーの思い出を、好きな選手と目に焼き付いて離れないプレーとともにご紹介。

 

記念すべき第1回は、もちろん

ドラガン・ストイコビッチ

名古屋グランパスファンだけでなく、日本のサッカーファンなら全員が「神」と崇めているハズ(!?)の妖精ピクシーことドラガン・ストイコビッチユーゴスラビア代表の10番として2度のワールドカップ出場、そして名古屋グランパスでは選手だけでなく監督としても活躍し、ついに2010年に悲願のJリーグ初優勝を成し遂げる。

Jリーグでは95年Jリーグ最優秀選手をはじめ3度のベストイレブンに輝く。昔行われていたオールスター戦でも3度のMVPに輝くお祭り男であり、いまだにJリーグの最多レッドカード記録保持者でもある熱い男である。

余談だが、試合中に鼻水をフンッと飛ばすシーンに驚いて真似した人は多いハズだ。

f:id:takeuchiriki:20200612143022j:plain

背番号10が良く似合う。

 そんなストイコビッチの名シーンといえば、

最も有名なのは94年ジェフ市原戦での雨中のリフティングドリブルだろう。あんなプレーをする人はJリーグにはいなかったので日本中のサッカーファンに衝撃を与えた歴史に残るプレーだ。だが私がもっとも衝撃を受けたのは、中西哲生へのあのダイレクトパスだ。


【サッカー】ストイコビッチ ピクシー スーパーサッカー特集 TBS

(該当箇所9:10ぐらいから)

長いサイドチェンジのボール、相手ディフェンダーもそんなに近くなく余裕でトラップすると誰もが思った瞬間、足の甲をぽんっと出して、完璧な強さ・完璧な速さ・一寸の狂いもなく完全にコントロールされたボールが全力で走り込む中西哲生選手の足元(シュートをうつための最高の場所)へピッタリと送られた。「えっ!」って1億人ぐらい言ったと思う。私は生まれてはじめて見た「シンプルで美しいプレー」に完全に心を奪われたのでした。

ユーゴスラビア代表では、マラドーナ以上に輝いていたと言われる90年ワールドカップから、テレビで弟と見て衝撃を受けたフリーキックをご紹介。壁の外を巻いて入るとんでもないフリーキックを見て弟と二人で大興奮。数年後にストイコビッチだったと知ってさらに驚いたのでした。


1990 World Cup Yugoslavia vs Spain (Dragan Stojkovic)

(該当シーン3:15~)

実はこの試合はもう1点決めていてそれもストイコビッチらしい素敵なゴールです。

 

サッカーの素晴らしさと多くの感動を与えてくれたストイコビッチ

いつか日本代表監督として戻ってきてくれる日を待っています。